災害復興にスポーツの力を−災害支援スポーツネットワークが目指す新しい価値 (前編)

IOCサミットにて、スポーツを止める共同代表理事 最上紘太(左)と糸見涼介さん 

一般社団法人スポーツを止めるなが2024年の能登半島地震を契機として立ち上げた「災害支援スポーツネットワーク」。日本、そして世界でも増え続ける災害に対してスポーツは、アスリートは何ができるのか。
「災害支援スポーツネットワーク」では、災害復興への想いを持つアスリートやスポーツ団体と支援を必要とする地域をつなぐ活動を展開しています。被災地の課題に対してスポーツ界のアセットを活かし、一過性ではない中長期的な支援を実現、活動で得た知見は次の災害への「学び」として社会に還元していきます。
今回は「災害支援スポーツネットワーク」の能登支援活動に参加いただいた元バヌアツ陸上競技代表監督でありIOCヤングリーダーの糸見涼介さんに、災害や社会課題に対しアスリートが出来ることやその価値について、ご自身のこれまでのキャリアにも触れていただきながらお話を伺いました。(本記事は前編です)

災害支援スポーツネットワークが提供する価値

最上 紘太(スポーツを止めるな共同代表理事:以下、最上):
スポーツを止めるなは能登半島地震をきっかけに「災害支援スポーツネットワーク」を立ち上げました。この活動は、自然災害が多い日本において、スポーツやアスリートの力を災害支援に役立てるような中長期的な支援や体制の形を考えていきたいという想いから始まったプロジェクトです。
糸見さんには9月下旬に行われた能登支援活動に参加いただきましたが、まずは今回参加されてみてどう感じられたか伺えますでしょうか?

糸見 涼介さん(以下、糸見):
率直に参加できてとても良かったと思います。今回の活動では、一本杉通り商店会での地域の方々とのディスカッションと腰細漁港でのビーチクリーン、そして穴水中学校へ訪問し地元の中学生と交流しました。
地域の方々とのディスカッションの様子
ビーチクリーンの様子
参加してよかった点はいくつかあって、まず一つ大きかったのは、この目で能登を見てその場所を感じることで、地元の方々の大変さを身に沁みて実感することができたという点にあります。よく言われることですが、災害の状況についてニュースなどで聞いているだけでは分からないことだらけで、解像度が上がらない。そうした実感がベースとなるからこそ、地に足のついた形で次に中長期的に被災地に対して何ができるのかを考え行動していくことができると思うので、とてもよかったと感じています。
あとは、アスリートの能登に関するSNS投稿などの発信が増えているというのがあって、活動に参加したことで彼ら自身が震災復興支援の当事者になったということも大きいと考えています。今回参加したアスリートたちは、中学生や地域の方々と交流する中で自分たちの競技のことも知ってもらいつつ、能登の現状について理解を深めることができた。この場所に対して自分ができることは何か、これから考えるための土壌ができたのではないかと思います。

最上:
ありがとうございます。今いただいたのはアスリートサイドのご意見かと思いますが、実際に被災地の目線から見ると「災害支援スポーツネットワーク」はどのような価値を提供できていると思われますか?

糸見:
私もバヌアツにいた頃に被災をした経験があるのですが、被災後やその渦中にいる時はどうしても明るいニュースや気分になることが少なくなります。それと同時に自分の感情を外に出すこと、大声を出したり笑顔で楽しんだりする機会も自然と減少します。今回穴水中学校に訪問させていただいて、少しの時間でもその場にいた皆さんに、心持ち的に前向きになれるような楽しい時間を提供できたのではないかと考えています。あとは清掃活動などを地域の方とご一緒する中で、「まだ能登は忘れられていないんだ」ということを直接的にも間接的にも伝えられたのではないかなと思います。
災害後の課題の一つとして風化があります。被災された地域の方々が風化を感じる瞬間は、やはり自分たちに対するケアや発信が少なくなっているということを感じるところから始まるのかなと。これからも能登のことを考えて行動していきます、ということを今回の活動で伝えられたと感じています。
穴水中学校での活動の様子
最上:
被災された皆さんの気持ちに寄り添いつつ、実のある活動を進めていくということですね。今回スポーツを止めるなの「災害支援スポーツネットワーク」の活動に糸見さんが参加してくださったきっかけを伺えますか?

糸見:
参加した理由は大きく2つあります。一つは、陸上競技の代表監督を務めていたバヌアツで、昨年末大きな地震があり、私自身が被災しました。その時に嬉しかったのが、日本やオーストラリア、ニュージーランドやフランスといった各国が支援の発信をしてくれたこと、さまざまな形で災害派遣チームをバヌアツへ派遣いただいたことでした。正直にいうと、そういった派遣チームのおかげで被災生活が劇的に変わったかというとそうではないのですが、その時に感じたのは、これだけ多くの方々や国がバヌアツを気にかけているということ、それを認識することで被災者として心持ちが大きく変わったということでした。被災生活を暮らすにあたって、心持ちというのは非常に大切で、先に挙げた活動のおかげで大きな希望を持つことができました。その経験から、今度は自分にも何かできるのではないかという想いがありました。
もう一つの理由は、自分がこれまで取り組んできたスポーツの力を活用して、被災地のために何かできたらと考えていたことにあります。アスリートとして、スポーツに携わってきたものとして何ができるのか。実際に能登へ行ってみて、もっと地域の方々の本当の力になれるようになりたいと強く思うようになりました。

バヌアツでの活動とIOCヤングリーダー

最上:
この辺りで糸見さんのこれまでのキャリアと、日本人として初となるIOCヤングリーダーに選出された際のお話も伺っていければと思います。まずこれまでの活動と今後についてお話いただけますでしょうか?

糸見:
私は幼少期から野球、駅伝とスポーツに取り組んできました。元々海外で仕事をしたいという想いがあったため大学卒業後にJICA海外協力隊としてバヌアツに派遣されました。驚いたことに、そこで陸上競技の代表チームのコーチを任されました。当初はいきなりの抜擢にも現地や選手の環境にも驚くことの連続でしたが、指導方法を工夫することで次第にチームは国際大会でも結果を残せるようになっていきました。
東京オリンピック・パラリンピックに向けて練習を重ねていましたが、新型コロナウイルスの影響により2020年3月に帰国、残念ながら大会にも人数制限の影響でコーチとして参加することができませんでした。不完全燃焼さもあり、オンラインで選手の指導を続けるとともにイギリスの大学院で開発学を学びバヌアツのためにできることはないかを模索していました。2023年4月に再びJICA海外協力隊としてバヌアツに派遣されることになりましたが、コロナ禍の影響で当時はバヌアツ国内の多くのスポーツ活動が停止しているような状態でした。以前から思い描いていたプロジェクトを今度こそはやり遂げたいと思っていた時にIOCヤングリーダーの募集を知り、応募をしたという経緯です。
バヌアツでの活動の様子
IOCヤングリーダーというのは国際オリンピック委員会(IOC)が主催するスポーツソーシャルビジネスの立ち上げを目指す起業家を支援するプログラムです。(注2)今までIOCはトップ選手の育成や強化、オリンピックの運営がメインの活動でしたが、スポーツを通じて社会にポジティブな影響を与える、変革を起こすようなスポーツを支える側の若者たちも支援していこうという文脈から生み出されたプロジェクトとなります。IOCヤングリーダーには4年の任期があり、その4年間でIOCからシーズファンディングという資金の提供やその肩書きを使って自らのビジネスを進めていきます。
私の場合は、活火山でのトレイルラン大会であるヤス―ルボルケーノラン(注3)をどうにかして国際大会化させたいと思っていました。絶対に成功させたいという時に、自分一人の力ではなし得ないという認識があったので、様々なサポートを受ける必要があるのではないかと考えました。SNSでIOCヤングリーダーのことを知って、たまたま1ヶ月後に選考が始まるという時期だった。プログラムを見てみると、自分のやりたいことを後押ししてくれる内容だったので応募した、というのが直接の経緯です。

最上:
これまで任期としては2年半、活動されてきて、得られたものや今後やりたいことなど教えていただけますか?

糸見:
まずは世界が広がりました。1期ごとに世界から25名のヤングリーダーが選ばれるのですが、私の同期たちが世界中で各々のプロジェクトを動かしているので、単純にそこから刺激を受けています。25人はそれぞれの国で、自分の専門のスポーツで、全く異なるアプローチでそれぞれの社会課題解決に向けて取り組んでいます。志以外は異なっていても同期たちは「同志」のような感覚でいて、時差やスポーツ関係なく共に助け合って自分たちのプロジェクトを進行しています。このような志を持つ日本人の同世代にはなかなか出会えていなかったので、僕の仲間はここにいたんだという感じです。
あとはIOCヤングリーダーの枠組みを使うおかげで、実際に自分のプロジェクトがぐっと前に進みました。プロジェクトを進めないと見えない景色があって、IOCヤングリーダーであったからこそ進行できたこともあるので、そういった意味で本当に世界が広がりましたし、自信にもつながっていきました。

最上:
現在IOCヤングリーダーとして取り組んでいる活動について教えていただけますか?

糸見:
一つは先程もお話したバヌアツの活火山でトレイルランニングをするヤスールボルケーノランのプロジェクトです。二つ目は日本の活動で、私の地元(三重県桑名市)で部活動の地域展開のプロジェクトを進めています。バヌアツではスポーツの国際大会を通じて、現地コミュニティの観光促進、観光業の復興、青少年の健全な育成という点を中心に取り組んでいました。
日本では、中学校における部活動の改革を通して、地域の活性化につなげるとともに、中学生の活躍の機会を創出しています。僕自身、大学まで部活動を続けて世界が広がっていった人間なのですが、ずっと疑問も抱えていました。学校によって選べる部活動に大きな差があること。スポーツを“支える側”の子が活躍できる場がほとんどないこと。そして何より、部活動の文化自体が閉鎖的になりやすいことです。そこでまず第一歩として取り組んでいるのが、『メディア部』のような新しい部活動づくりです。カメラ・編集・広報などの役割で活躍できる場を作り出しつつ、情報発信を通して地域の人たちに部活動を“見える化”できればと思っています。いろんな目が入ることで自然と開かれた環境になり、ハラスメントの予防にもつながると考えています。実現したいことはまだまだありますが、今はできるところから積み重ねている段階です。
バヌアツ陸上競技連盟会長と
部活動プロジェクト 地域住民説明会の様子
能登支援、バヌアツやIOCヤングリーダーとしての活動など多岐にわたるお話を展開してくださった糸見涼介さん。後編では糸見さんがスポーツ×社会課題に取り組むきっかけとなった思いを取り上げるとともに、スポーツを止めるな「災害支援スポーツネットワーク」が目指す価値について話を進めていきます。後編もお楽しみに!